2014年03月31日

バドゥン

「ウェブはバカと暇人のもの」を読む。

タイトルこそ過激だが、故に本棚でパッと目について手に取ったのは
昨今のネットにおける情報リテラシーへの疑問が強まっていたところ、
なにかの解決につながるとよいなと思い読んでみた次第なんですよ。

芸能人のブログの炎上コメントだとかツイッターの晒し者の流れとか
特に被害者いないままの怒りのエージェントだとかいろいろあるでしょう。

私も含め日本人ってのは面と向かってものをいわない気質なんだけども
匿名のネットの世界だとその反動なのか一方的に優位な条件の下だと
とたんに粗を探したり証拠を残さないイジメ的なものに加担する傾向が強く、
実にタチの悪いリスキーシフトに陥りやすいのもまた一つの事実なわけで、
著者があえてわかりやすく「気持ち悪い」と提唱するのもまたむべなるかなと。

そういいつつも(決して理解できないもの=相手を病気扱い)的な安易な思考停止に
陥ってるわけでなく、著者自身がどっぷりとネットに浸かった状態、
インターネットニュースの編集者として第一線の現場で出くわした数多くの
異質なインプレッションの積み重ね(賽の河原的な)から得られた一つの答えがそこにあり
ネットに腰まで浸かりブログを設け発信の場の末席を汚している私としても「あるある」と
首を縦に振らざるを得ないことが多々記述されていた。

私がインターネットをはじめたのは高校1年だか2年の頃で、1990年代辺りは
まだネットの創成期とも言うべき時代故に今とはまったく違う状況だったような記憶がある。

純粋にコンテンツとして楽しかったのは、今みたいにパソコンが一家に一台というわけでもなく
まだパソコンも今ほど安くもなく、金のかかるもんだったから「見ようとしないと見れない」という
篩がかけられていたので、意志を持った人達が自分の意志にのっとって発信していたのかなと。
テレビをザッピングして入ってくる情報とは別に、知りたいことは調べなければでてこないから
調べ方も、質問の仕方も、答え方もなんしかのローカルルールに基づいて成り立っており
なにか間違いでも起こそうもんなら至極普通に叱責されるような環境ですよ。

創成期ゆえの途上感やその時代の臭みみたいなものはあれども、
思うのは「今の視点」で当時を見ることができたとしたらそれはそれはおもしろいものに
違いないという確信がある。悔やむべきは当時の自分のキャパシティーの狭さであるかな。

まぁ人間なんてのは紀元前だろうが近代だろうが基本中身は一緒ですから、
たかが15年ぐらい前の状況に対して「昔はよかった」なんてことはいわないけども、
この10~15年でネットそのものの概念が変わったのは逆説的なものがあると思うんですな。

なにかの本だか忘れたけども、インターネットに希望を抱いた人が
「これでこれからは建設的な意見交換の場ができるぞ!」と思ってたら
結局蓋を空けてみるとむしろ「どうでもいいこと」が氾濫しておりますねわははみたいな。
結局自分を含めた大多数の素人がネットを介してできることなんてのはたかがしれてるわけで、
むしろ今まで心に秘めていたことを簡単に露呈して自爆するだけの増幅装置なだけなんですな。
そういうもんだとわかってネットに触れている人はあまりいないんじゃないかと思う。
そしてこういうのも「自由な場なんだから別にいいじゃないか」という方も勿論いらっしゃるでしょうよ。

んでようやくこの本の端々に書かれている結論の一つを参考にさせていただきたい。

●ネットが自由な発言の場だと考えられる人は、失うものがない人だけである

多くのミリブロガーさんに対して私が思うことはこのことですよ。
中身のあるなしの線引きは人それぞれだから別にかまわないんだけども
上記みたいなことをすこしでも意識してもいいんじゃないかなって思う人がしばしば見受けられて、
好きなことを書いてるのにそこには意志がなく人間が人間じゃないように見えるっていうと
これまた大仰なのかしらん。






Posted by ダブルジェイ at 02:21│Comments(0)
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