2013年10月19日

ウィケ波J太郎 男の系譜1

齢31歳になっても自慢話というものに出くわしたときのリアクションに困るんだ。
聞くのも話すのも好きじゃあないんですよ元々。

遡るとね、零号機つまりは実の父親の影響があったんだと思うんだな。
彼は好きだったんですよ自慢話がね。子供心に「恥ずかしいからやめてくれ」って思うぐらい。

元々学がない人だからコンプレックスみたいなのがあったんだろうなと思いますね。
「自分は誰々を顔見知りだ」なんて話はザラですよ。向こうは大して印象に
残ってないと思うんですけどね。

当時は世の中がバブル真っ盛りだったから金周りも悪くないわけだ。
子供の私にもおもちゃを買い与えるでしょう。その自慢話をご近所さんとかするんですよ。
完全に意味がわからない。5歳児ながらに恥ずかしくてしょうがなかったですね。
ぼくがその話の聞き手だったら「あぁこいつは完全に狂っているな」って真っ先に思いますけどね。

自分の話しかできなくて、自分の話はできてないという禅問答みたいな感じなんだけど
たまにいるんだよなこういう人は。お前さんはなんの話をしたいんだとね。
よくわからない増築に増築を重ねて九龍城みたいな滑稽な佇まいになっているというのかな。

そもそも会話っていうのはキャッチボールでしょう?
それを無視して、他人が握ったオニギリをぶつけてくるようなもんですよ。
シーチキンだろうが焼きタラコだろうが具なんて関係ないんだねもはや。
他人が握ったオニギリ投げてることにも気付かずにロージンバック握ってる勢いですからね。

今川焼きってあるだろう?ぼくはあれがどうにも苦手なんだ。
味とか触感じゃない。思い出と対になっているからね。
子供の頃、ファッションセンターしまむらで父親と買い物をした帰り、
父親の好物だった今川焼きを出店で買うのがお約束だった。
なにかの拍子でいつもの如く「お父さんはすごいんだ」なんていうでしょう、
その瞬間、しまむらから出てきた妙齢の美人に目を奪われているんだよ。
子供っていうのは大人以上に敏感だからね。ぼくは悪いものを見てしまったと
言葉にはできずとも理解してしまった。この時のことは「男色の煮付け」という短編に書いた。


又衛門は必死に声を張っていった。

「今拙者のことをパッションフルーツと申されたか!!」

「ふん!尻奉公なら気楽なものじゃ!」

「なにっ!!」

「それ以上聞くとあらば刀にかけてのことだろうな、おい」

やがて、冴え冴えとした青い剃り跡を見せ、又衛門は朝飯の膳に向かっていった。


どうだい?意味がわからないだろう。そりゃあでたらめだからね、このやりとりは。
やはり西郷よりも大久保の方が政治家としては1枚も2枚も上ですよ。
西郷は軍人というよりも詩人だったから、どうしても門下生の情に流されてしまう。
「ならばいっそのこと、ここで死にもうす」だなんて簡単にあきらめちゃうんだ。

まぁ父親がそんな感じだったから、ぼく自身がちょっとアレルギー気味なのも否めないけども、
自慢話を聞いた瞬間に了見の狭さってやつが際立ってしまって構えざるを得ないんだな。

しばらくそんなことも忘れかけていたけれども、
長唄から離れ、サバゲーに足を踏み入れるとこの手の輩にたまに出くわすものだから、
ついついしまい込んでいたものを引っ張り出さなくちゃならなくなる。
困ったものですよ、これは。心の柔らかい場所を雑に握り締められるようなものだからね。






Posted by ダブルジェイ at 02:32│Comments(0)
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