2013年04月24日

ヘテロダイン

ようやく「ゼロ年代の想像力」を読み終えたわけですが、
読解ままならぬもヒントというか琴線に触れたものが多々ありましたなぁ。
メモをとるのではおっつかないので本にバンバン折り目つけるという、まぁ教科書的な感じで。

中でも印象的だったのはオタクの変遷描写がとても的を得ていて、
逆差別的ナルシズムな消費者アイデンティティーから、時代を経て、
キャラクター文化のメジャー化に伴い、単に「インドア系の趣味」の一つという
認識になっているということが記されておりましたが、まさにその通りであるなぁと。

この弊害というか産物というのが、いわゆるオタクの機能してない多様化というか
食い合わせの悪い中でも平気で同じ食卓を囲むという、「一つ屋根の下で」的な
不思議な現象が生まれているという違和感がずっと頭に残っていたんですが、
ようやくスッキリした次第ですよ。
キャラクター文化のメジャー化により「痛車」という代表的な表現媒体が
公共の場に氾濫し、まるで市民権を得たようなことになったことがあったけれども、
結局は「インドア趣味」の延長線の話であって、そこに関してはやはり
「俺たちはわかってやっています」的なニュアンスを含もうが含むまいが、
「空気の読めなさ」から脱却できないオタクの気質が垣間見えるわけで。

オタク層が空気を読めない傾向にあるのは、自己のアイデンティティーを
無自覚にキャラクター化するという紛れもない事実に基づいた結果なわけなんですけども、
間違えやすいというか錯覚しやすいのが、「別段オタクではない」と思い込んでる人でも、
自分をキャラクター化する傾向にあれば、結局のところ「空気が読めない人」という
カテゴリーに分けられてしまいまして。むしろ無自覚さという点では後者のほうが強い気がします。

極論をいいますと「このキャラクターだけどわかってやってるから許してね」っていうのと
「(俺と比べて)お前のそのキャラクターは気に食わない」ってのは語感の強さといいますか
諦念か決断思考かの違いなだけで同じ穴の狢というやつですな。

本来であれば島国文化的なゾーニングが各々にされていたわけですが、
データベース社会の昨今では、インターネットによる「ブログ」だとか「SNS」だとかから
自己愛に満ち溢れたキャラクター性が不特定多数に露呈されることになり、
見る側にとってもかいつまんで「(自分に)都合のよさそうな人」を簡単にチョイスできるわけで、
逆にいえば「あぁこいつはもうダメなんだな」という割り切りの判断(誤審も含む)も一入でしてね。



この場合の「都合のよさそうな人」という見立てはいいかえれば、
「自己愛正当化の助長ツール」としてコイツは役に立つであろうというというエゴに陥りやすく、
その流動性も脆弱性も理解しないまま、なにか希望めいたものを抱き
「このコミュニティは楽しい」という悠久めいた思い込みが成立しやすくなるわけです。
まぁ楽しければそれはそれでいいんですけど、いざ実際に行動をとってみると
「笑っているのは自分だけ」という結果もしばしば見受けれられますでなぁ。
この仕組みは「独立している(と思い込んでいる)自分のキャラクターを承認してほしい」という
願いの下に生きている「静かな変人さん」にはとっても都合がよくてですね、抜群の嗅覚で
「都合のいい人」の判断をつけてたりするわけなんですわ。
個人の自由だからまぁかまわないんだけども宗教というコミュニティーに傾倒するも
勧誘する際には「自分と同じ位、もしくは自分より弱そうな人間を選ぶ」という
メタ化現象が生じるのとなんとなく似ておりますなぁ。

社会性が価値を付加する時代はとっくの昔に忘却され、個々の正義めいた判断によって
生み出される価値観というものの危うさだったり儚さだったりがそこにはありましてね。

それによる局地的なつながりは排他的な思考を伴うものであり、「YES/NO」の二択で
「(自分に)都合が悪い人」に対しては過剰なまでに攻撃的になるのも、さもありなん。
いわゆる「敵を作りやすい人達」のというのはこういったメカニズムのなかに
どっぷりと組み込まれており「敵」を作るのも「自分」で、「相手」を「敵」と認識するのも
自分なわけですよ。改めてみると至極当然なのだけれども。

切ない。






Posted by ダブルジェイ at 22:52│Comments(2)
この記事へのコメント
> 「このコミュニティは楽しい」という悠久めいた思い込みが成立しやすくなる

そーーーなんすよね。
んで、しばらく経つと、「自分たちの持つ周囲に対する影響力って思ったより小さい。つか、皆無じゃん?」という不都合な真実に直面せざるを得なくなるわけです。なつかしのmixiでけっこう目撃しましたな、そういうの。

そのしょんぼり感たるやハンパない。恒星が燃え尽きたあとの白色矮星みたい。というか元来のmax値が白色矮星みたいなものだったんだから、それが燃え尽きるってどういうコトよ!? という深遠一歩手前のボケツッコミが発生しかねない次第です。合掌。

ちなみに、「不都合な真実に直面」しないようにねばろうとすると、それ以前の5倍だか10倍だかのパワーで無理矢理前進しなければいけない局面に立ってしまうのが実に悲痛無限回廊。
いずれにせよこのような、道理をはずれた振る舞いというのは、最終的に割の合わない結果しかもたらさない感じですね。
Posted by 強力わかもと労働組合 at 2013年04月24日 23:15
コメントありがとうございます~

強力わかもと労働組合さん>

SNSとかは「コミュニティー」の項目が一つの記章みたいなもんですからなぁ。

昔、某所で「コーラが好き」っていうコミュニティーをチラ見したときに
「あなたはどんな時にコーラが飲みたいですか?」みたいな不毛なやり取りが行われており、社員旅行みたいな「手段が目的化」が横行している感は否めないですなぁ。飲みたいときに飲むんだろうがっていう。

始めるのは簡単な世の中になってきたんで、むしろ引き際に重きを置く傾向にシフトしないといけませんなぁ。
Posted by ダブルジェイダブルジェイ at 2013年04月26日 10:42
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