2013年03月24日

ギルガメッシュ

完全防音の室内で一生懸命寿司を握る。

これが当ブログの身構である。ずーっとモヤモヤしていたんだけども
ようやくここ最近、この表現がパッと思い浮かびしっくりきたところ。
つまりこれは一種のリバタリアニズムといってもよい(あまり意味をわかっていない)

無論、寿司を握ることに防音性は必要とされない。
完全防音は「私は静かにお寿司を握りたい」というアンチテーゼである。

自発的に不特定多数に向けて「ブログやってます」「SNSやってます」とか
聞かれてもいないのに平気でさらっといっちゃう類のよくわからない自己顕示欲の現出が
どうもイマイチしっくりこなくてですね。人間らしいといえば人間らしいけども。
喩えていえば相手の「好き嫌い」や「味覚」を知らないまま
「実は私料理が趣味なんでどうぞ食べてください。ブリ大根とババロアですどうぞ召し上がれ」
とかのゴリゴリのインファイトボクサースタイル。アイエエエエエ…実際コワイ!!!

まぁ吐露しちゃいますとね、気を使うだけなんですよ そんな下りの料理なんて。
料理は愛情って結城先生がいってましたけど、自己愛のほうじゃねぇって。

気を使うから「コレ何食ってるかよくわかんねー」ってのが正直な意見ですよほとんど。
だからメシ屋でメニューみて各々選ぶんでしょ。自分が食べたいものをさ。

なんか共通の心の琴線めいたものがあればいいんだけど、そういう人は
「自分がいいと思ったものは皆も喜ぶはずだ」なんていう迷惑甚だしい善意で
ことを進めてしまうから、これはたまったものではない。ワンサイドグッドウィル

もうリメイクして「一方的な善意を押し付ける人を片っ端からぶっ殺しにかかる」って意味での
原作完全無視「新生グッドウィルハンティング」の映画作ればいいのに。

映画キャッチコピーは「奴らは見えない 自分のことも」 マッド・デイモン主演

まだこの場合、「このオレを見て欲しい」で済む話だが、
時として他人を巻き込むこともある。

大昔にファミレスで顔見知り&初対面で集まったとき
「彼、ジャンジャララってブログやってるんですよ。見てみてください」って唐突に
アナウンスされて、おいおいなんの罰ゲームってこともありまして。

一斉にみんな携帯とりだして見始めたりしてでっかい?マーク浮かべてた表情とか
そりゃあもうあの理不尽な光景は多分忘れないですよ。今まで忘れてたけど。
たまたまネットでたどり着いたとかならまだしも、暴力的匙加減なアナウンス!
なんたる意思の強さを感じさせる表現!アイエエエエ…!!
オレのブリ大根とババロアは下手の横好きで勝手に作ってるわけで、
「好き嫌い」や「味覚」の違いによる迷惑をかけたくないから自分で好きに喰らって
好きに処理してるんだぞって!!(ブリ大根とババロアの単語を含みながらブチ切れるテスト)

後日、発言者に「あの、あーいうのは流石にちょっと」って含みながら伝えたんですが
この手の類は「なんで?オレ気にしないけど」っていうのが通例なんですよ。
このオレが気にしてんだよ、いわせんな恥ずかしい。
「やめましょう」っていっても「やめない」傾向が強いという負のスパイラル。よりによって

だから逆にいえば「やめときましょうよ」っていっても頑なに「やめない人」ってのは
いろんな未来予測ができて苦手だったりする。
「やめない人」というと意識を感じるが、実際には「なんでやめるのかわからない人」っていう。

「わかんない!わかんないよ!兄ちゃんなにこれ!
  お尻が熱いのに背中はゾクゾクするよっ!!真美こんなの知らないよ!」(いいたいだけ)

なるべくならネットはネットで慎ましくも健やかに過ごしたいわけですが、
「わかんない!わかんないよ!兄ちゃんなにこれ!」と書いときながら
今更どのツラ下げてんだって話ですけど、それはそれで、まぁなんというか
そのとおりじゃないかなぁって。






Posted by ダブルジェイ at 15:55│Comments(8)
この記事へのコメント
防音室内で一生懸命に寿司を握っているのを何回も指で壁に穴を開けて見ている風の私です。すいません。だってWJ兄さんのブログ好きなんだもの♂

>おいおいなんの罰ゲームってこともありまして。
すごい分かります。
似たような体験したことあります。なんか公開処刑の気分でした。
Posted by corgicorgi at 2013年03月24日 21:08
飲み会に遅れて行ったらいきなり『風呂るんるん』言われて変な汗でた自分が通りますよ。
Posted by がせ at 2013年03月24日 21:59
ブログはそもそも「よくできた自己愛正当化ツール」なんですけど、
それを直視したがらない人がネットユーザーの大多数を占めるから
結果的にダブルジェイさんが「完全防音の室内で一生懸命寿司を握る」
モダンアート的な状況に立たざるを得ないという気もしますな。

このご時勢、下手に自覚をしっかり持ってしまった人の方が、身の処し方が
むしろ難しい、というのは、色々考えさせられます。

サイコパスとそうでない人との境界が昔より曖昧になってきたから
FBI心理分析官の方々も大変だよなぁ、とか。
Posted by 強力わかもと労働組合 at 2013年03月24日 22:08
コメントありがとうございます~

corgiさん>

真面目な顔して寿司握ってるでしょ 僕。
人の話きかないから「おまかせ」しかお品書きにないんですけどね。


がせさん>

本人に面と向かっていうつもりなかったんですけど変な流れになっちゃいましたね。
どっちが「かもーん♪」っていってるんですか?って聞いたら
「オレです」っていってたときのがせさんは流石だなぁって思いました。
Posted by ダブルジェイダブルジェイ at 2013年03月24日 22:18
すんません。先ほど、一番述べたかったことを忘れたまま投稿しちまいました。

「自覚」とつながる話なのですが、ジャンジャララの場合、「加虐」でも「自虐」でもない
「内省」ギャグという路線があって、そこが自分的にはイケてる気がします。
池波正太郎イズムとなんらか関係しているのかもしれませんけど。
Posted by 強力わかもと労働組合 at 2013年03月24日 22:43
コメントありがとうございます~(タイムラグ)

強力わかもと労働組合さん>

壁薄いのに奇声みたいなことを平気で叫ぶようなもんですからね>ブログ

SNSができたころから、ネットってのが「実世界おけるコミュニケーションツール」としての役割を担うようになってきて利用者の本質の違いみたいなのが混ぜこぜになり淡水と海水が混ざったようなカオスな河口付近になってるんでしょうな。

それに伴い、入り口が一緒でも時間が経つにつれて質の違いがだんだん明確になってくるというケースは実は多い気がします。

>サイコパスとそうでない人との境界が昔より曖昧になってきたから
>FBI心理分析官の方々も大変だよなぁ、とか。

ミリタリー分野においては「子供心を忘れない人」と「大人になりきれない人」の違いが一発目のカテゴリー分けになるんですかね。やばいのは本当にやばいからなぁ。

>池波正太郎イズムとなんらか関係しているのかもしれませんけど。

池波正太郎が「男ってのはすきやきをやりたがるもんなんだよ」っていう
むちゃくちゃなこといってたんですが、なぜか腑に落ちるところもありましてね。
そういうのが確かに好きではありまして、関係してるかどうか判断つきかねますが、どこかで誰かとそういうものが共有できるといいなっていうものは間違いなくある!
Posted by ダブルジェイダブルジェイ at 2013年03月24日 23:18
> それに伴い、入り口が一緒でも時間が経つにつれて質の違いがだんだん明確に
> なってくるというケースは実は多い気がします。

単に性向の違いというか、本来的な生息域の違いが明確になるだけだったらまあ
いいかなと思いますが、やばいパターンとして、
「自分では情報発信者だと思い込んでいたが実はそんなタマではなかった」
みたいな質の違いが顕わになるのがありますね。その場合、言論人っぽいスタイルを
気取っていながら、いつのまにか、無自覚な怨念発信装置みたいなものになって
しまったりしますから。

別に暴力的なネタでもないのに本質が暴力的な文章って、そういう原理から生じて
くるのかもしれないと思います。

あと、セーフティーとかで、同好の士という意識で話しかけてくれるのはよいけど、
なんとなく最初から「共犯者」的感覚が底流にあるのがうかがえて悲しくなる瞬間が
あります。ヨーダだったらこういう局面をどう凌ぐのかなー、などと、つい余計な
ことを考えずにいられません。

そんでまあ池波先生なんですけど、
世間一般的に「むちゃくちゃ」という言葉は「猪木」と結びつくことはあっても
「池波正太郎」とはあまり結びつかない認識だと思うんです。
でも、彼の作品テーマの中核は「人間性、善悪の矛盾」でしたから、本当はむちゃ
くちゃさによって駆動している部分が大きいですね。
しかし、それをお茶の間向きに平板に無害化した姿でひろめたがる人がけっこう
いて、そのフィルターを通すとものごとの解釈すべてが一定の割合でつまらなく
なる、みたいなパターンがあるように感じられます。それが悲しい。

ただし、ダブルジェイさんはそういう業界のワナにハマっていないので、すぐにでは
ないかもしれないけど、観点の「価値ある共有」は全く可能だと思います。

合掌。
Posted by 強力わかもと労働組合 at 2013年03月25日 00:59
コメントありがとうございます~(自分のコメント読み返したら煩雑だったので改めて)

強力わかもと労働組合さん>

>いつのまにか、無自覚な怨念発信装置みたいなものになってしまったりしますから。
>別に暴力的なネタでもないのに本質が暴力的な文章って、そういう原理から生じてくるのかもしれないと思います。

これはまことに染みますね。そのとおりだと思います。
他者との比較をすることで自分の「発信者としての」優位性を高める手段が習慣化されてしまうということは、それすなわち自分で自分を 持ち上げることで落下時の衝撃をどんどん高めるという一種の無自覚な自傷行為なのかもしれませんなぁ。 自分の存在を知らしめて生の実感を得るという意味ではリストカットと似たようなもんですけども。

本や映画でもなんでも、自分の琴線に触れたものを他者に広める行為っていうのは「この私の感性を見て欲しい」的なニュアンスが前提にあると思いますが、表現方法の源流である「作家が持つ圧倒的パワーやキャラクター性から生まれたもの」だと折に触れて受け止めようと身構えてみるのも楽しみ方の一つではないかなと思います。

作品内においては物語を通して「心にそっとしまっておきたい」言葉に満ち溢れていますが、エッセイとかだと等身大の作家性をモロに見るわけでして、

「ただ、理屈でもって全部割り切ってしまおうとすれば、もともと矛盾の存在である人間の社会の苦痛とか、苦悩とか、苦悶とか、傷痕とかいうのは広がるばかりなんだよ」 って記述があまりにも強烈すぎて、ある意味で打ちのめされた気分になりました。受け取り側の心構えというものを振り向きもせず容赦なく綺麗に核心をブチ抜くってのはそれはそれで受けとった側も一周して気持ちいいもんだなって思いました。
Posted by ダブルジェイダブルジェイ at 2013年03月25日 18:17
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