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Posted by ミリタリーブログ at

2014年02月09日

阿片窟

バレエ・メカニックを読み終える。

超現実、シュールレアリズムというやつですか。
脳機能を失った植物状態の娘が大脳皮質のかわりに大都市を介し、
娘が見る・見た「夢」や「幻想」や「記憶の欠片」みたいなものを人々に見せ付け
ある種のパニックに陥れるという。

筒井康隆氏の「パプリカ」は他人が見る夢の中に介入する話でしたけど、
大都市に住まう大多数がいきなり同時に不可思議なビジョンを見るという点でいえば
バレエ・メカニックはその逆のパターンとでもいいますか。

文字情報で超現実を伝える術。

超現実っていうのは理解不能の「絵・現象」をいきなり見せ付けられ混乱・困惑するわけ
ですから、読みつつ「絵・現象」を想像する小説と食い合わせがいいかというと
そうでもない気がして、ましてや主観で絵を想像するのが読み手に唯一与えられた
特権且つ、それぞれにまた想像しているものが違ってくるものがあると。

いったん噛み砕いて超現実を理解するのもなんかちょっと違う気がして、
どちらにせよありのままに受け止めるのが吉日生活なわけです。
ビジュアル先行で誘致されてみた映画パプリカも、ビジュアルから入ったからといって
なにがどう変わるかというわけでもなく、結局「理解に苦しむ」ものでありますから
どうにか「理解に苦しむのを楽しむ」という考えにシフトしたほうがいいと思うわけです。
「よくわかんない」の一言で片付けるには勿体無いものが世の中には溢れているわけですから。

季節や時節の移り変わりなんぞ普段は気にも留めていない私なわけですけども
そんな私でも電車の中吊りで「みすず学苑」の広告をみると

「もうそんな時期か」と呟きたくなるものです。

2014年版

2013年版

俗に言う「完全に狂ってる」わけなんですけど、これこそバレエ・メカニックの世界観、
つまりは「超現実」なんじゃないかと思いますもんね。
毎年なんしかの物語の進展が見受けられるんだけどもそもそもの物語がわからず、
無限の動力を得た暴走ラジコンが我々を攻め立てるわけですよ。

そもそも怖いのが我々がパニックに陥ってないこと。
いわゆる現実に超現実が流入しているわけなんですけど、見て見ぬフリなのか
理解不能と情報をシャットアウトしているのか。サラリーマンやOLでごったがえす車内で
それぞれが音楽を聴き、スマホをいじり、新聞を読み、個の世界を展開しておる。

異彩を放つみすず学苑とそれらの個々の展開を含めての更なる超現実が
今ここに誕生しているわけです。

私事でありますが、尻にオデキができましてこれがまたあまりにも巨大で
座り仕事にも自転車移動にも支障をきたすのでソーイングセットを買い、
針を火で炙り、消毒用エタノールを散布し、見えない場所なので合わせ鏡で
自分の尻のオデキを確認し針を突き刺すという行為に最近及んだわけですが、
これもある意味で超現実になるわけですよ。尻丸出しで針をもってる自分を
合わせ鏡越しにみたときの私の顔はまるで自分じゃないように見えた。

別のときでは、たまたま地元で山車みたいなのが練り歩く祭りが催されたので、
きまぐれにふらっと見に行ったことがあったんですが、
地元のボーイスカウト製作の山車のぼんぼりにトマトのキャラクターが描写されていて、
「わたしもボーイスカウトに入りたい。だってトマトだもの」だとかいう一文が
力強く書かれていたのをみて「これは夢なんじゃないか?」って思ったこともありましたしね。
その山車が信号機の高さにひっかかって「いったんバックしろ!」という参加者の
掛け声とともになんとか私も現実にかえったわけですが。

何故とは思いつつも、その「何故?」に答えがないのが超現実でありまして、
圧倒されつつも個々の解釈次第でどうとでも受け取れる矛盾こそがその装いといいますか
味わいといいますか、小雨坊やドラゴンタトゥーの女やメーテルだとかの類も
それに法った一つの答えであり、怖いもの観たさに近い感覚での
「素直に圧倒されたい」という純粋な欲求を満たす重要なファクターであるのだと
思ったり思わなかったりしました。おしまい  


Posted by ダブルジェイ at 17:32Comments(3)