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Posted by ミリタリーブログ at

2014年02月02日

チーク

三島由紀夫の「金閣寺」を読み終える。
まぁ初めての三島作品であったわけですが、私としては
最初に三島事件のほうを知ってそっちのインパクトが強かったもんですから
なんというか破滅に向かう力技の正当性の持ってき方というんですかね、
あぁなるほどなって。

自意識だとか美意識だとか劣等感による偏執だとか
人それぞれがどっかしらに抱えているものを「これでもか!」と
文字として目に見える形で知らしめられたわけなんですが、
根本的にそれによってなにか救いがあるのかというとそうでもなくて、
是非は問わないが金閣寺の主人公が行ったようなことを三島由紀夫本人が
三島事件を通じて体現したのは改めて思うと実に興味深いものでありました。
小説の中でこそ起こりうることを実際に持ってきちゃったわけですから
物語のおもしろさだとかつまらなさとかよりも作者の人柄というか人格みたいなものが
駅伝の白バイみたいに先導しちゃってまぁなんというかうまく言葉が見つからない。
よく「アニメキャラや漫画の女の子」に思いを馳せ「俺は二次元に帰るぜ」と猛る
先輩方もおられますが、二次元と三次元の境界線を越えたパイオニアの1人ってのも
或る意味で三島由紀夫氏なんじゃないかなって思うんです。
しかも作者自身がその境界線をブチ抜いてきたわけですからね。盾の会の制服着用&武器持ちで。

でまぁ先に述べたとおり救いがあるかというとあんまりない気がするのだけれども、
鬱屈であるかというとかならずしもそうでもなかったのが特徴だったというか、
「あぁ、そうは思っていても客観的な視点、トドメは外さないのだな」と舌を巻いたわけで。

金閣寺の主人公・溝口はその生い立ち、容姿、吃音症などによる劣等感から
なにかいろいろとめんどくさい思想の持ち主になるわけですが、
大学に通うようになるとお友達作りとして自分と同じようなハンデを持つ人を探すわけです。
そして先天性の内翻足を持つ柏木という奴にめぼしをつけ接触を試み、
吃りつつ標準語で話しかけるわけです。柏木はこう言い返します。


「君が俺に何故話しかけてくるか、ちゃんとわかっているんだぞ。溝口っていったな、君。
 片輪同士で友達になろうっていうのもいいが、君は俺に比べて自分の吃りを、
 そんなに大事だと思っているのか。君は自分を大事にしすぎている。だから自分と一緒に
 自分の吃りを大事にしすぎているんじゃないか。」


ここを読んだときに「たしかに!」と一陣の風とともに頷かざるを得ないわけでした。
どうも私自身が苦手意識がある人というのは「自分を大事にし過ぎている」というわけでして
過去の経歴、業績をふんだんに織り交ぜ、機動隊のジェラルミン製の盾の如く
防御しつつ突進してくるわけですよ。サバゲーでチラホラ見かけたなぁそういう人は。

それがポジティブなことであろうがネガティブなことであろうが源流は一緒で
「自分を大事にし過ぎている」ことにはあまり変わらないよなと勝手に納得し、
柏木のようにピシャリといえればいいもんですが、「まぁほどほどにな」としか
頭ん中で思うぐらいしかできませんが。

いや、ぶっちゃけサバゲーに限らずな話ですよ。

職場でもアルバイト先でも学校でもどこにでもいるもんですよ。
私自身含まれるところもありますが、かといいつつ「そこまで無自覚にいけるもんなのかね?」と
首を傾げたくなるのもまた一つ。

たとえばイジメ体験だとか、心の病にはじまるものも引き摺るのは当然のことで
うまいこと折り合いがつくように自分の中で処理しなきゃいけないけども、
その引き摺った跡を他人の目に見えるように残すのはまた別の話だよなってこと。
とはいえポジティブ過ぎて無自覚にポジティブさを触れ回るのまたどうかなってこと。

以前の職場で心の病を患った人と喫煙所で一緒になることがあったのだけども、
とくとくと身の上話をされて「いきなり伝家の宝刀を抜きやがった!」ということもあったし、
別の人だと自分のことを疑わなさ過ぎて変なことに巻き込まれたりとかもあったわけで、
これらの特徴として「自分を大事にしすぎて利害がハッキリしている」ってことです。

多分そういうことは今後尽きることはないんだけども、そのときは柏木の台詞をふと思い出して
みようかなって思いました。おしまい。  


Posted by ダブルジェイ at 18:23Comments(5)