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Posted by ミリタリーブログ at

2013年11月24日

明滅

こないだ貸切ゲームに行ってきたんですよ。場所は最近いろんな意味で熱いオアシス。
前日の定例だかで曲射に対して参加者全員連帯責任でスタッフがブチ切れたっていうオアシス。
そんなん当事者だけに注意すればいいのにね。全然意味がわからん。

オアシスって「心の休まる場所」って意味もあるんでしょ。

でまぁそんなことが起こった翌日に貸切ゲームに参加したんだけど、
コンタクトレンズがうまくはいらんトラブル(未だにたまにある)でちょっと遅れて
そのままバスにも乗り遅れってことで1ゲーム目が始まってるときに現地に到着したんですわ。

遅れたことをお詫び申し上げながら1ゲーム目終了後にショバ代払おうとしたら
1ゲーム目の休憩時間に全員が参加費を払っている。私はこの流れが不思議でしょうがなかった。
だって普通、現地に集まったらまずやるのが参加費を払うことでしょうよ。
それも主催者さんのところに払いに行くわけじゃあなくて、主催者さんが
一つ一つテーブルを回って回収する。これはすごく効率が悪いなぁと思った。
実際1ゲーム目の表が終わって金を徴収するのに20分ぐらいはかかってたと思う。

これは主催者さんが初幹事ってこともあるんだけど、私が一番不思議だったのは
「この流れで皆なにもいわんのかね?」ってことですな。なんか提案とかさ、あるじゃんよ。

この状況とかみてりゃさ、テーブルに固まったグループとかなら、
普通その中の代表が金をまとめてお釣りのやりとりも済ませて耳そろえて主催者に払うとかさ。
いろんな楽しさが先行してんだかなんなのかわからんけども、
こういうのは貸切でも定例でもあんま関係ないんだなって思ったわけ。
あんまこういうこと書くと「うるさいな」って思われるかもしれないけど、
そういうの済ませた上で成り立つ遊びだと思うんですよね。遅れた私がいうのもなんですけど。

でまぁ手伝いってほどのことじゃあないけどもタイムキーパーとか進行とかやったんですよ。
拡声器もって「熊谷の石原商店のチリガミ交換でぇーございます」的な。
でまぁ人の流れとか動きとか見てたわけです。

これはどこいってもそうなんだけど、10分休憩でまるまる10分が経過してから
移動し始める人がいるわけで、結果余裕で3分や5分過ぎることがザラなんですよ。
開始3分前ですっていっても1割ぐらいは席についてまったり喋ってるわけで
ギリギリになってヘルメットかぶってゴーグルつけたり、弾こめたり、
マガジンをポーチにぶっこんだり、プレキャリとかをつけはじめる。

「時間かかるならそんなフル装備やめちまえ!」

まぁね、この場合私も呼ばれた身ですからそんなことは決して口にはしないですけど
こう思うのは私だけじゃあないと思うんですよ。

どうすりゃみんな円滑にフィールドインすんのかなって考えて、
ためしにゲートのネットをひょいと持ち上げて待機してみると
「すいませんすいません」といいながら皆駆け込んで入場する。

言い方は悪いが完全に「羊飼いの少年」の気分ですよ。こう長い草でペシペシするみたいな。
オアシスの広さもフラッグの位置もたかが知れてるからいいんだけど、
これが広いフィールドでフラッグの位置もややこしかったら一入でしょうなぁ。

別のフィールドの定例会ではスタッフがフラッグの位置とかルールとか説明してるのを
遮る声量で話してる人もたまにおるからなぁ。

こういう「声が大きい」のっていうのは実際の声量もさることながら、
「この場で輝いている俺アピール」的なアトモスフィアが働いていて
聞いてもいないのに聞こえてくる身としては、なんというかこの現象に名前が欲しくもなってくる。
いいかえればそれぐらいの高頻度で出くわすってことですわいな。

そもそもオタクってそういう生き物なんで気持ちはわからんでもないんだが、だからといってなぁ。
まぁね、同じ趣味で趣向が近いと楽しいものだが、
リミッターの外れやすさと、ハメの外れやすさってやつの相乗効果の結果ってやつは
オタクもdqnもそう大して変わりはしないんだよな。

適正人数

ぶっちゃけオアシスって面積も作りもしょっぱいわけなんだけど
適正人数守ってシンプルなゲームに徹すれば遊べなくもないわけです。
この日も終日10分フラッグ戦だけだったんだけどその中で遊ぶ分には
問題ないとはいいつつも、それ以外に定例会とかに行くかといわれたら答えはNOです。

フィールドのシューティングレンジがおざなりなところって一時が万事な気がしましてね。

まぁいろいろ思うところを書きましたが、ボチボチ楽しい1日でした。
造り云々とかメンツ云々とかを立てるんじゃなくてやっぱり一番は気概だと思うんですよ。
この場ではどういう位置づけに自分を置くかで楽しいもつまらんも変わってくるんじゃないかなって。

いろんな人がいる中での進行とか運営って難しいんだろうなって思いました。おしまい。
  


Posted by ダブルジェイ at 23:25Comments(2)

2013年11月16日

バブーン

通勤電車の楽しみであった池波正太郎氏の「闇の狩人」を読み終え、
「えーんえーん読む本がないよー」と庭先でのたうちまわること15分。
買ったはいいもののほったらかしの小説を思い出した。

有川浩氏の「塩の街」である。

次の本はこれだ!と読み進めて行くと実に印象的な言葉があった。
主人公達に突如訪れた災難を作者はこう表現している。

「まるで逢魔時の魔物のようだ。突如現れ、混乱に陥れ、
 こちらの受ける衝撃など知ったことかと一方的に去る。」

何故この一文が印象に残ったのか瞬間にはわからなかったが、
遡ってみれば大なり小なりそのような状況に近いことが
私自身の経験にあったからなのだろう。

もう6年前のことだが…

当時、恵比寿で働いていた。まぁ恵比寿というのは嘘なのだけれども
まぁその近辺の話である。

仕事柄女性が非常に多い職場、というか女9・男2という比率で
なんだかんだで肩身が狭い思いをしたのだが、その時の様子を男に話すと
「うらやましいですね」だなんて笑いながら返されるのだ。

とんでもない!上澄みの底にはかならず淀みがある。
その淀みを一つ一つ伝えるのはやや億劫なので省略するが…

塩の街から引用させていただくが、ここに1人の逢魔時の魔物がいた。
いろいろ都合が悪くなりそうなので、この女のことをとりあえず仮でハマダと呼ぼう。

ハマダはアーティスト性が強い不思議ちゃん的な位置づけであったが、
物事が自分の都合にあわないとすぐさま小さな舌打ちをするという癖に
養殖的不思議ちゃん臭を感じるのは火を見るよりも明らかである。
(そもそも不思議ちゃんなどというのは食品偽装みたいなもんであるが)

狡猾であることが女性の美徳だと思うけども、不思議ちゃんってのは
時と場所を選ばずに撒き得ぶち巻くあざとさとシビアさを兼ね備えている
ハイブリッドなタチの悪さが一際目立つわけでなぁ。

イマイチその類に寛大になれない私としてはこのハマダとのやりとりは苦行そのものであった。
今でこそ「まぁそういうもんだろ」と思うわけですが、もうちょっと若いときなんかは
多分私自身、顔にも態度にも自然に出てたんだろうなと思うんですねぇ。

まぁそんなこんなでしばらくして会社を辞めるときに最後にハマダは真顔で私にこういった。

「今だからいいますけど、あなたが入社する前に、
 履歴書に書いてた自己PR見て『コイツいじめたろ』って思ったんですよ」

あぁこいつはバケモンだなってゾッとしましたね。
絶妙のタイミングでトドメを刺す生き物なんだなって。

そういう風に思われたのは別に構わないんだけど普通口に出して面と向かって言わんでしょ。
しかも最後の最後ですよ。「辞めるついでにお土産もってけよ」的な。

女性というは大なり小なりそういうところがあったりするけども、
ここまでいくと男の私としては理解に苦しむんですなぁ。

「こころあたりがないわけではないが、よもやこのような振る舞いがなされるとは…」

その瞬間WJはしのばせていた懐刀で自らの心臓を突いた。

「むぅん…」


丁度「闇の狩人」でもこんな言葉があるんですなぁ。
お家騒動で狂っちゃった奥方を指して、女中がこんなことをいうんですね。

「女の狂気にさいなまれると、これほどまでにおもいきったことができるのだろうか…」

これはね、染み入りますね。つまるところ理屈じゃあないですからね。


それとはまた別の話だけれども、高校の頃にバイト先のオバちゃんが煙草吸ってましてね。
煙草を吸うきっかけってなんだったんですか?ってたずねたら

「旦那が一番嫌がることをしてやろうと思ったの」っていうんだよ。
当時は?マークだったけども今思えば本当に恐ろしいなと思ったりしますよ。

その流れなのかどうかしらないが、完全に独断と偏見ではあるが己の確信に近いものがある。

「松本大洋好きな女と、IKKIを読んでいる女は気をつけろ」

大方「なにいってるんですか?」って返されるんだけども
闇の住人であるダメンフィスだけは「そうだな。ヤバいな」と深く深く頷いていた。  


Posted by ダブルジェイ at 05:22Comments(2)

2013年11月05日

ウィケ波J太郎 男の系譜2

なんとなく思うところがあるのだけれども、うまく整理がつかずに
ずるずると長引いていたことが一冊の本のタイトルよって霧が晴れるようなこともある。

「一億総ツッコミ時代」

とんきの帰りにふとタイトルを思い出し書店に足を運んでみたものの、
残念ながら取り扱いがなく未読のまま今に至るわけだが。

まぁなんとなくだけども、ネット社会に端を発する他罰傾向にモノ申す的な感じなのであろうと。
目立つ言動に対しての過剰なツッコミが今の人には多く見受けられるわけなんだが、
誰しも評論家みたいなことをできるような体制が整っているからさもありなんというところですよ。

厳密にいえばツッコミじゃなくて「単に気に入らない」ってことが前面にでている傾向にあるんだけども
多数決の社会だからそれもいつしか当たり前になっている感じはするね。
そのことを憂うつもりもそのような立場でもないからコレついては言及はしないけども、
単純にボケとツッコミの感覚がおかしなことになっているなぁとは思う。

まぁ上記みたいな世の中でしょう。みんなツッコミを恐れて過剰にプロテクトをかけた結果、
妙に自虐的に卑屈になっていて「それはフェイルセーフとは違うんじゃないか?」と思うところが
しばしばあるんだね。かといってタブーを破ればいいとか声を大にすればいいというものでもないが。
たぶん様々なブログによく見られる「毒にも薬にもならない生存報告」っていうのは
この最たるものなのではないかと思うけれども、単にぼくの考えすぎなのかもしれない。

反面、ボケたつもりが洒落にならないことも沢山見受けられるね。
下手をしたらボケたつもりもないのにツッコミを必要とされる事態のほうが多いのかもしれない。
あと「ツッコミを待っているが俺の望んだもの意外は認めん」っていう業の深いことが多いね。

もうムチャクチャでしょう。時流に沿った形ではあるが背伸びしたツッコミ慣れした人ってのは
時としてえげつないぐらいに残酷だからね。

この間も初対面の人と喋ったときに「○○についてどう思いますか?」だなんて質問されたので
うまく考えもまとまらないまま答えると「それは考えすぎじゃないですか?」だなんて
真顔でいわれるんだよ。汲み取ってもらえないときのズレっていうのかな、
ぼくはいろんな考えがあっていいと思ってる人間だからかもしれないけれども、
そういうのを一言で切り捨てられるんだから恐ろしいったらありゃしないね。

「AとBどっちがいいですか?」っていわれて「A」っていうと「いやBに決まってるでしょう」って
「答えでてるなら、じゃあなんでぼくに聞いたんだよ」って。

そういう傾向は最近特に多い。どんだけウォッチャー気質のむっつりスケベなんだろうな。

それはさておき…

よくわからない「ひとりなぞなぞ」みたいなことが増えてきた気がするね。
「上は大火事、下は洪水、さてこれはなんでしょう?正解はお風呂」みたいなメールがたまにくる。
道具や思想といったなにかに置き換えた汲み取りづらい意思表示っていうのかな。
時速300キロで瞬き一つせずにインターセプターでひき殺しにかかるようなものですよ。
ボケどころか殺意だからね。ツッコミをする暇もないわけですよ。

あくまで「自分で見に行かなければたどり着かない」ブログ記事ならまだしも、
相手が限定されたメールのやりとりでこういうのがくる。これは恐ろしいことですよ。
特に返事も必要としてないと思うんだけども、上記にもあるように
メールに限らず「じゃあなんで相手を必要としているのか」ってケースはいつも疑問に思うね。
出刃包丁で滅多刺しにして殺した後に殺意はなかったみたいなことは世の中意外と多いんだ。
この時のことは「おれのイチゴ」という短編に書いた。


浪人風の男は二つの駕籠が船宿「よしだや」に入っていくのを向かいの窓の隙間から
見守っていたのだが、中年の男と身の丈六尺を超える巨大なイチゴが駕籠から降りてきたとき、

(おや……?)

男の両目が針のように細く光った。
この男は名を石川龍衛門という。

「野郎、もしかして今をときめく田沼意次ではないか?こいつはおどろいたな」

中年の男とイチゴが奥に入るのを見届け、龍衛門は口を出して呟いた。

「それにあのイチゴはとちおとめに違いねぇ。待ってたかいがあったもんだ」

龍衛門は唖の女房が作った夕餉をかきこむやいなや、
腰に大小を差しこみ、裾を端折ると一凪の風のように「よしだや」へと駆け込んでいった。

「今をときめく田沼意次、覚悟!」

声をかけざま、龍衛門が堀川国広一尺九寸五分でぬきうちをかけた。
その転瞬、

「とちおとめ、助太刀!」

イチゴが怪鳥のような声をあげ、夢中で刀を振り回したのだから、これには龍衛門も驚いた。


賄賂政治と世間から嘲笑された田沼意次だけれども
その反面、身寄りのないイチゴを庇護したという記述がある資料もあるんだ。
そんなのはないけどね。そのところをきちんと理解していないといろいろ辻褄があわない。
「イチゴ=賄賂」という認識が当時から脈々と受け継がれているのも当然といったところだろうね。  


Posted by ダブルジェイ at 00:19Comments(2)

2013年11月01日

ガオガイガー

新宿には虎がいる。

鮫ではなく、虎である。学生の頃、新宿をブラブラ歩いていると
虎の面を被った奇抜なオッサンと何回かすれ違ったがそれ以上のことはなかった。

あれから十年。私は再び新宿に戻ってきたわけだが、
昼休みに靖国通り沿いのABCマートにブーツを見に行った道中、再び虎に出くわした。

新宿虎についてはこちら

スターバックスのオープンテラスでコーヒーをしばいていたのである。
おもくそ面が割れてて、なんだか見てはいけないものを見てしまった気がする。

最初はハロウィンで浮かれている輩かと思ったけれども、
よくよく見てみれば傍らには普段から携帯していると思われる
薄汚れたつがいの虎のヌイグルミが横たわっていた。歴が違う。

そのまま会社に戻る道中では横断歩道でカラーコーンを被った女とすれ違った。
ジャージ姿の右胸に「カラーコーン」と手書きで書かれたゼッケンが縫いつけられた女である。
東京プリンのカラーコーン版みたいな。

「ハロウィンとはちょっと違うよな?」と思いながら振り返って今一度カラーコーンの女を見る。
人ごみの中で頭4つ分飛びぬけたカラーコーンの女はまっすぐ駅の方に向かっていった。

立て続けに不可思議な情景を見たわけだが、あれは夢だったのかもしれない。

そういえば新宿のABCマートでレッドウィングのブーツを試し履きさせてもらったとき、
「意外と軽いですね」と店員にいうと「手で持つと重力が働きますからね」と
店長からまったく意味のわからないセールストークをされたのを今ふと思い出す。

思えばおかしいことだらけである。

朝、新宿から新宿三丁目を歩いているときにかならずすれ違う人物がいる。
180センチをゆうに超え、でっぷりとした体躯のドレッドおさげ黒人女。

指定喫煙所にたむろし、アイフォンを見つめながら独り言をつぶやき
ちょくちょく液晶に睨みをきかせる市川海老蔵もどき。

それぞれにきっと物語がある。さながらパルプフィクションのように。
私もその中に組み込まれているのだろうか。

新宿はまことに不思議な街である。

そしてこの面子でアベンジャーズが結成されるとは
この時の私は予想もしていなかった(手渡されたキャプテンサイタマの衣装に狼狽しながら)  


Posted by ダブルジェイ at 01:19Comments(0)